東電の資料によると3.11の地震発生当時「港湾では,タンカー船から重油タンクに給油作業を行っていたが,作業を中止して避難。タンカー船は津波に備えて沖合へ移動していたため,難を逃れた。」とある。
東電平成20年試算によっても、1号機から4号機の取水ポンプ付近では約8~9メートルの津波が、5号機の取水ポンプ付近では10メートルを超える津波高さが試算されていた。この場合、海水ポンプの損傷に加えて、重油タンクやこれに給油をするために停泊するタンカーへの影響を保安院や東電はどのように考えていたのであろうか。
元自衛官の方のブログには「福島第一原発5.6号機ユニット長・吉沢厚文氏の講演」が紹介されているが、その中で、震災当時福島第一に停泊していたタンカーが津波襲来を予見して離岸をしたエピソードが紹介されている。タンカーが津波に流されて施設を破壊する可能性や重油に引火して津波火災となる可能性もある。
東電平成20年試算や貞観試算により4メートル盤を大きく超え、10メートル盤に迫る試算がなされていたのであるが、4メートル盤対策すら何らとろうとしていない不作為は著しい任務懈怠である。他方で10メートル前後の津波の対策を4メートル盤において採用し、また大津波警報発令時の手順書を整備していれば、10メートル盤上の浸水も被害も軽減され、事故は防ぐことができた蓋然性は高い。
東京新聞<ふくしまの10年・イチエフあの時 事故発生当初編>(2)道ふさぐ巨大重油タンク
https://www.tokyo-np.co.jp/article/57166
週刊エコノミストオンライン「福島第1原発事故で新事実 「防護扉」開放で大量浸水許す 奥山俊宏」
※1号機タービン建屋大物搬入口の防護扉が開いている写真にNO1重油タンクも映っている。
1964年新潟地震津波にみる港湾域での複合災害の実態と今後の課 題(岩渕洋子・今村文彦・越村俊一)
津波に伴う屋外タンクと漂流物による被害に関する実用的評価手法 の提案(藤井 直樹・今村 文彦)
※ 藤井直樹氏は東電設計
1964年6月16日新潟地震津波に伴う火災の発生について(都司嘉宣 ・増田達男 )
危険物施設の津波・浸水対策に関する調査検討報告書平成21年3月(総務省消防庁)
新潟地震による石油タンク等の火災(失敗学会HP)
【メモ】
4メートル盤の浸水の試算結果から重油タンクが被害を受け、津波火災などの深刻な事故が予見できていたはずである。このことも4メートル盤の即時の津波対策の必要性を基礎づけるのではないか。
なお中越地震の際に柏崎市長は消防法に基づき東京電力に対し危険物施設の緊急使用停止命令を発している。